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14th frog in Dec.  師走の蛙 14匹目

師走の蛙とは、「寒ガエル」をもじった古くより伝わる大阪しゃれ言葉。学校に通い出してから医師になっての勤務先まで、北大阪から一歩も出たことがない私、井の中の蛙の独り言です。診療の合間、日々の雑感を(医療に関係ないこともふくめて)綴っていきます。

旧臨床研修制度2...

2008 7.31

以前の制度では医師になったとき(国家試験に通ってすぐ)に、自分が何科を選択するか、を決める必要がありました。実際にその科の先生がどのような毎日を送っているか、想像するだけで選択していたのです。

ですから、「先輩の先生に誘われた」とか、それこそ「子供の頃にお世話になった小児科へ行こう」とか「ひとの生死に関わりたい」といった、青年の志がいちばんの選択理由となっていました。言葉は悪いですが、青臭い理想主義が幅をきかせていたわけです。

私が医師になった20年以上前には、同級生は120名ほどいましたが、内科、外科だけでも40人前後が選択しました。その頃は、たとえば「私は皮膚科へいく」というのが気恥ずかしいような雰囲気さえありました。「そんな科へ行って、人の命が救えるのか?」というわけです。

実際に医師としてのスタートを切ってみれば、他科の先生と比べても外科医師の生活は厳しく、朝から夜まで手術や検査などに忙殺されていました。ただ、漫画の「ブラックジャックによろしく」にそんな描写があったと思うのですが、「俺は昨日は3時間しか寝ていないのに、今日も朝から手術に入っている」というのが、誇らしくさえ思っていました。

今思い起こしてみれば、「あの頃は集団催眠にかかった状態」か、とさえ思います。睡眠時間を削ってまで手術に臨むことがいかに危険なことか、理解できていなかったのです。とにかく悪い意味での徒弟制度が残っていて、若い医師はそれこそ労働基準局が聞いたら目を疑うような生活を強いられていました。

消化器外科医はまだましなほうで、横目で毎日病院に寝泊まりする心臓外科や小児外科などの研修医は、傍目にも大変でした。正直、「しんどい科」を選択するのは、若気の至りの部分が大です。

新しい研修制度では、研修医が科を選択するまでに2年の猶予期間があります。実際に各科を廻って肌で見聞きすれば、とくに25歳前後という将来設計をも真剣に考えなければならない青年が、あえて「しんどい科」を選択することは珍しくなってしまいました。内科や外科医がどんどん減っているのは、こういう理由もあるのです。

話は続きます、今日はここまで。

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